■世界の棟方
昭和27年4月、スイスのルガーノで開かれた第2回国際版画展で優秀賞を受賞し、同30年7月、サンパウロ・ビエンナーレに「釈迦十大弟子」などを出品し、版画部門の最高賞を受賞しました。又、翌31年6月、ベニス・ビエンナーレに「柳緑花紅頌」などを出品し、国際版画大賞を受賞し、世界の棟方としての地歩を築きました。同34年には外遊し、アメリカの諸都市の大学で講演をしたり、ヨーロッパにも行ってゴッホの墓を訪ねたりしました。
■画伯と郷土
画伯の郷土を愛する心は人一倍強く、凧絵やねぶたは勿論のこと、風物に対しても大変心をよせていました。また、少年達を励ますために「清く高く美事に希望の大世界を進み抜く」という言葉も書いてくださいました。青森市の合浦公園にはこの言葉を刻んだ記念の石碑が建てられています。青森市では、昭和44年2月17日、青森市名誉市民第1号の称号を贈りました。同45年11月には青森県人としてはじめて文化勲章を受章しました。昭和50年9月13日東京都において72年の生がいを閉じました。お墓は、青森市三内霊園にゴッホの墓と同じ形につくられ、と名づけられています。
■広い範囲での活躍
志功画伯は、版画のほかに、油絵、倭画、書、詩歌などに多くの傑作を残していますし、著書類も多く、「棟方志功板画大柵」「板極道」「わだばゴッホになる」など数十冊にのぼっています。(注)画伯は昭和18年頃の作品から「木版画」を「板画」という字で表現しました。
|